top of page
生態園周辺の空撮今昔
1963年頃の生態園付近は林と水田や畑があるだけで民家もほとんど無い地域でした。
右上から左下に斜めに横断する道路は中原街道です。現在の中原街道がクランクしているのは元々このような道路だったからですね。
1975年頃の生態園付近は林と水田や畑に加え、いくつかの集落が出来たことがわかります。
しかし道路はまだ中原街道のみで生態園の場所も林に囲まれた田畑と現在の御手洗池にあたる池があるだけの田園風景の一部でした。
1980年頃になると港北ニュータウンの都市開発が進み土地の造成などが行われていることがよく分かります。宅地だけでなく茅ケ崎小学校や茅ケ崎中学校の土地整備も行われています。
生態園や茅ヶ崎公園もなんとなく姿が見えてきました。
1985年頃になると茅ケ崎中学の建設が終わり、港北ニュータウンの幹線道路の建設も行われていることがよく分かります。
しかし、まだ宅地には新しい住宅はなく更地のままです。
生態園や茅ケ崎公園はまだ整備の様子は見られないです。
1990年頃になると茅ケ崎小学校も建設が終わり、宅地にも住宅が建ち始め街としての様相を表してきました。地下鉄は1993年の開通ですが高架部分の橋梁ができているのが分かります。
茅ケ崎公園の造成も始まっている様子が見えます。
1995年頃になると住宅地域にはマンションや住宅が建ち並び、地下鉄も開通し、街並みがニュータウンらしくなりました。
茅ケ崎公園も完成し住民の憩いの場に。生態園も開園に向けて整備が進んでいます。
2005年頃には生態園の周りは都市開発も終わり、ほぼ現在と同じ街の姿が広がっています。
生態園も業務委託での管理が始まっています。茅ケ崎公園も完成しプールも出来ています。
2010年頃は2005年頃とほとんど変わりの無い景色ですが、小さな空き地にも家が建ち並び街が完成した感じです。
生態園はまだ北側デッキが作られる前です。
現在の生態園は上空から見るとほとんど木に覆われており、御手洗池と隣接する湿地、そして田んぼが見えるだけです。
周りに比べて自然が残されていることがよく分かります。
bottom of page